103話:ロマン派への誘い その1 [クラシック]
皆様、お久しぶりです。
このところ演奏会と練習の日々で更新が中々できませんでした。
それにしても早いものですね。もう今年もまた1年を終えようとしています。
皆様はいかがお過ごしでいらっしゃいますか。
ベートーベン◇ピアノソナタ第8番ハ短調「悲愴」作品13
ベートーベン(1770-1827)と言うとすぐに思い浮かべる作品はこれからの時期にぴったりの交響曲第9番合唱つき「喜びの歌」を筆頭に、ヴァイオリンソナタ「スプリング」「クロイツェル」、小さな曲では「エリーゼのために」などなどそれぞれの人々の心の中に次々と作品が湧き出てきますね。
本日の作品は3大ピアノソナタ「月光」「熱情」と共に知られる「悲愴」のご紹介です。
この作品はベートーベン28歳(1798年)に書かれました。そして、ヴァイオリニスト、クロイツェルと知り合っている年でもあるのです。ベートーベンは22歳でウィーンに拠点を移し、成功の道を辿っているこの時期に病魔が忍び寄っていました。それは音楽家にとって致命的な「難聴」だったのです。
この曲はベートーベンにとって大変思いいれの大きい曲だったに違いありません。タイトル「大ソナタ悲愴(グランドソナタパテティーク)はベートーベン自身が名づけ、数少ない標題の例としても知られています。また、1楽章の「序奏」にもあるように、これまでのピアノ曲と異なり、人間的な感情表現が豊かになり、ロマン派のピアノ書法の原点とされています。
もしこの病に苦しまなかったら、これまでと同様サロン受けする作品を書き続けていたかもしれないだろう、苦悩に追い詰められそれを乗り越えようとしたことが彼を自己発見と斬新な技法を可能した、と考える専門家も多いのです。
ティソ(1836-1902)◇ゲッセマネの園での苦悩(キリストの苦悩)
では、ベートーベンがどれほど「難聴」について苦悩していたかを知る手がかりとなる友人に宛てた手紙の一部を書き出してみましょう。
出来ることなら僕は運命を相手に戦い、勝ちたい
僕は何回となく創造主を呪った。
考えても見てくれ、僕の一番大切な部分である聴覚がだいぶ弱まっているのだ。
さて、実際この曲を翌年1799年に発表すると数年間に渡り、賛否両論のセンセーションを巻き起こしました。モシュレス(1794-1870作曲家・ピアニスト)*下記写真*の伝えをご紹介しましょう。
彼が1804年プラハ音楽院の生徒だった時、学校はモーツアルト・クレメンティ・バッハ以外の作品を学ぶことは禁止したそう。特にベートーベンについてはすべての規則に違反してでたらめな音楽を書いていると。モシュレスはこっそりと図書館に通い、「悲愴」を見つけ、写譜し、そのスタイルの新しさに魅了されました。
写譜というと私はバッハを思い出します。10歳の頃、まだ早いから駄目だといわれたパッヘルベルのピアノ曲の譜面をこっそり持ち出し6ヶ月もの間写していたそう。またモーツアルトは譜面を見ることも禁じられていた教会カンタータの演奏について、耳でその演奏を記憶していまったとのこと。いつの世でも後世に名を残す大家は知恵と根気が人並み外れているのですね。凡才の私にはどんな知恵があり、どこまで根気が続くのか。これからも自分自身を楽しむゆとりを忘れず精進していこうと思います。
その他、若きベートーベンのエピソードを知りたい方はChaputer 7 社交界の寵児:ベートーベンこちらのエッセイをご覧下さいね
◇第一楽章:序奏、アレグロ・ディ・モルト・コン・ブリオ(荘厳に、きわめて輝かしく)
◇第二楽章:アダージョ・カンタービレ(きわめて遅く、歌うように)
◇第三楽章:ロンド・アレグロ(ロンド形式、軽快に)
演奏◇ピアノ:ケンプ ソナタ「悲愴」第2楽章 3'rdアルバム「My Romance」を2011年8月にリリースしました。
言葉の無い3つのロマンス(フォーレ)/アヴェマリア(ピアソラ)/間奏曲作品118-2(ブラームス)/ロマンティックな情景(シベリウス)/甘い思い出・紡ぎ歌(メンデルスゾーン)/あなたが欲しい(サティ)/亡き皇女のためのパバーヌ(ラヴェル)/即興曲作品90-2(シューベルト)/愛の夢(リスト)/フランス組曲第5番より(バッハ)/精霊の踊り(グルック)/幻想即興曲(ショパン)/トロイメライ(シューマン) 計62分 定価¥1500にて発売中。
このところ演奏会と練習の日々で更新が中々できませんでした。
それにしても早いものですね。もう今年もまた1年を終えようとしています。
皆様はいかがお過ごしでいらっしゃいますか。
ベートーベン(1770-1827)と言うとすぐに思い浮かべる作品はこれからの時期にぴったりの交響曲第9番合唱つき「喜びの歌」を筆頭に、ヴァイオリンソナタ「スプリング」「クロイツェル」、小さな曲では「エリーゼのために」などなどそれぞれの人々の心の中に次々と作品が湧き出てきますね。
本日の作品は3大ピアノソナタ「月光」「熱情」と共に知られる「悲愴」のご紹介です。
この作品はベートーベン28歳(1798年)に書かれました。そして、ヴァイオリニスト、クロイツェルと知り合っている年でもあるのです。ベートーベンは22歳でウィーンに拠点を移し、成功の道を辿っているこの時期に病魔が忍び寄っていました。それは音楽家にとって致命的な「難聴」だったのです。
この曲はベートーベンにとって大変思いいれの大きい曲だったに違いありません。タイトル「大ソナタ悲愴(グランドソナタパテティーク)はベートーベン自身が名づけ、数少ない標題の例としても知られています。また、1楽章の「序奏」にもあるように、これまでのピアノ曲と異なり、人間的な感情表現が豊かになり、ロマン派のピアノ書法の原点とされています。
もしこの病に苦しまなかったら、これまでと同様サロン受けする作品を書き続けていたかもしれないだろう、苦悩に追い詰められそれを乗り越えようとしたことが彼を自己発見と斬新な技法を可能した、と考える専門家も多いのです。
では、ベートーベンがどれほど「難聴」について苦悩していたかを知る手がかりとなる友人に宛てた手紙の一部を書き出してみましょう。
さて、実際この曲を翌年1799年に発表すると数年間に渡り、賛否両論のセンセーションを巻き起こしました。モシュレス(1794-1870作曲家・ピアニスト)*下記写真*の伝えをご紹介しましょう。
彼が1804年プラハ音楽院の生徒だった時、学校はモーツアルト・クレメンティ・バッハ以外の作品を学ぶことは禁止したそう。特にベートーベンについてはすべての規則に違反してでたらめな音楽を書いていると。モシュレスはこっそりと図書館に通い、「悲愴」を見つけ、写譜し、そのスタイルの新しさに魅了されました。
写譜というと私はバッハを思い出します。10歳の頃、まだ早いから駄目だといわれたパッヘルベルのピアノ曲の譜面をこっそり持ち出し6ヶ月もの間写していたそう。またモーツアルトは譜面を見ることも禁じられていた教会カンタータの演奏について、耳でその演奏を記憶していまったとのこと。いつの世でも後世に名を残す大家は知恵と根気が人並み外れているのですね。凡才の私にはどんな知恵があり、どこまで根気が続くのか。これからも自分自身を楽しむゆとりを忘れず精進していこうと思います。
その他、若きベートーベンのエピソードを知りたい方はChaputer 7 社交界の寵児:ベートーベンこちらのエッセイをご覧下さいね
◇第一楽章:序奏、アレグロ・ディ・モルト・コン・ブリオ(荘厳に、きわめて輝かしく)
◇第二楽章:アダージョ・カンタービレ(きわめて遅く、歌うように)
◇第三楽章:ロンド・アレグロ(ロンド形式、軽快に)
言葉の無い3つのロマンス(フォーレ)/アヴェマリア(ピアソラ)/間奏曲作品118-2(ブラームス)/ロマンティックな情景(シベリウス)/甘い思い出・紡ぎ歌(メンデルスゾーン)/あなたが欲しい(サティ)/亡き皇女のためのパバーヌ(ラヴェル)/即興曲作品90-2(シューベルト)/愛の夢(リスト)/フランス組曲第5番より(バッハ)/精霊の踊り(グルック)/幻想即興曲(ショパン)/トロイメライ(シューマン) 計62分 定価¥1500にて発売中。
今日の1曲◇バッハ:フランス組曲第5番「アルマンド」 よりピアノ:本間くみ子
録音スタジオ:ソフィアザールサロン
yutubeに現在私自身の演奏を62曲アップしています
2011-12-01 22:23
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