96話:奇跡的な復活上演 [クラシック]


早いものでもう3月を迎えました。やがて春分の日も訪れます。この時期ヨーロッパではイースターというお祭りがあるのもご存知の事でしょう。十字架にかけられたキリストが亡くなり、3日目に復活したとされる最も重要、記念すべき日。春分の日の後、最初の満月の次の日曜日に祝われている復活祭(イースター)にちなんだ作品を今日はご紹介します。

この曲を作るにあたり、当時復活祭前40日は「受難と復活に向けての準備期間」でありすべての歌舞音曲が禁止されていました。多忙なバッハはおそらくこの期間を利用してこの大規模な受難曲や復活祭のためのカンタータを準備する事ができたのであろう、という事です。

バッハ◇マタイ受難曲より 52.「アリア:わが頬の涙

まずこれほどの大曲、大作を取り上げるにはこの小さなページではあまりにもお粗末なのではないか・・とも考えたのですが今後もシリーズとして再び取り上げていきたいと思います。

  グイド・レーニ(1575-1642 伊)◇聖マタイと天使

  

グイド・レーニ(1575-1642 伊)◇聖マタイと天使

バッハはドイツ生まれ、1685年~1750年の生涯、当時としては比較的長生きをした音楽家です。また大きく3つの活動時期に分けられます。

ワイマール時代 1708年~1717年 23才~32才 ケーテン時代  1717年~1723年 32才~38才 ライプツィヒ時代 1723年~1750年 38才~65才

そしてこのマタイ受難曲はライプツィヒ時代を代表する作品であると共に、バッハ全作品中の最高峰に位置づけられる作品でもあるのです。しかしながら残念な事に1727年ライプツィヒの聖トーマス教会で初演された時はそれほどの評価を受けませんでした。以後改定を繰り返し1736年に完成したといわれています。

ところが今日私たちがこの大作を知る事が出来た裏には、そのおよそ100年後1829年に「奇跡的な復活上演」があったからなのです。それはロマン派作曲家、メンデルスゾーンの貢献、偉業によって歴史的な上演がなされた事により、バッハの再評価につながったからなのです。

  ゴッホ(1853-1890 和蘭)◇ピエタ(哀れみ、慈悲)

  

ゴッホ(1853-1890 和蘭)◇ピエタ(哀れみ、慈悲)



<作品について>

新約聖書「マタイによる福音書」の26,27章のキリストの受難をテーマにしたもの。多くの独唱、合唱、オーケストラを伴う大規模な音楽作品です。演奏時間はカット無しで約3時間、最近のピリオド奏法では2時間30分という長編です。

第一部 : イエスの捕縛まで

導入の合唱 / 十字架の士の予告 / 祭司長たちの合議 / 香油を注ぐベタニアの女 ユダの裏切り / 晩餐 / オリーブ山にて / ゲッセネマの苦しみ / 捕縛

第二部 : イエスの捕縛、裁判、磔刑、埋葬と封印まで

人気なき園に花婿を探すシオンの娘とエルサレムの娘たちの同情 / 大祭司の審問 / ペテロの否認 / ユダの後悔と末路 / 判決 / 鞭打ち / 十字架の道 / 十字架上のイエス / イエスの死 / 降下と埋葬 / 哀悼 


それぞれのタイトルには合唱と独唱があります。合唱=コラール=群集=公的に対して、独唱=アリア=イエス・ペテロ・ユダ・ピラト・大祭司等の聖書引用部分にもとづいた台詞、そしてバッハ自身の感情、意思、思考表現の要素があります。

 ドラクロワ(1798-1863 仏)◇埋葬

  

ドラクロワ(1798-1863 仏)◇埋葬

 

今日お届けする曲は、第2部「鞭打ち」から52番:アリア「我が頬の涙」です。

たとえ私の頬に涙が流れなくても、おお、私の心を受け取って下さい。しかし主の傷が慈しみ深くも血を流すとき、私の心をこの血で満たし、捧げ物の皿とならせて下さい。 52番:アリア「我が頬の涙」




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今日の1曲◇バッハ:主よ、人の望みの喜びを

youtubeに現在私自身の演奏を56曲アップしています

[CD]ピアノ:本間くみ子

録音スタジオ:ソフィアザールサロン

音楽と絵画の部屋 こちらもどうぞ Chapter 1. パッヘルベルの唯一の作品




95話:蝋燭もなく月光のもとで [クラシック]


ヘンデルの作品に続き今日は同年に活躍したバッハの作品からのご紹介です。


バッハ◇カンタータ第196番「主は我らを心にとめたもう」


ドイツの人たちの暮らしの中で秋になると近隣の大小の教会でバッハのカンタータの演奏が行われているそうです。どこの教会で何番のカンタータが上演されるかが分かるように、特別なパンフレットが発行され、なおかつ無料で聴くことができるとの事。まさにバッハのカンタータはドイツ人の生活の一部なのですね。

バッハはドイツ生まれ、1685年~1750年の生涯、当時としては比較的長生きをした音楽家です。今日はバッハの小さい頃、青年時代の逸話を中心にご紹介したいと思います。


小さい頃のバッハは合唱隊に入っていた事は確からしいとの事。当時の合唱隊は二つに区分され、一つはルター派のラテン語の聖歌。そしてもう一つはドイツ語のコラールを単旋律で歌ったもので、より若く、未熟な少年たちによる<クレンデ>とより音楽的な者たちによって構成された<ポリフォニーコルス・ジンフォニアクス>と呼ばれてものでモテットやカンタータを主に歌っていました。
バッハが作曲している宗教曲のふるさとはその作品群(ルネサンス期の巨匠=ヴァルター / ヨハン・クリストフ・バッハ / ヨハン・クリストフ・バッハ←最初の妻マリア・バルバラの祖父)にあるようです。


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バロック絵画◇カンタータ


バッハは10才になるかならないかで両親を失ってしまいます。そこで兄クリストフバッハ(オールドルフのオルガニスト)の指導の下にクラヴィーア(今でいうチェンバロやピアノのような鍵盤楽器)演奏の基礎を作りました。ただバッハの学ぶ意欲は計りしれず、兄が自発的に学ぶように与えた教材はすべて短期間で習得してしまいます。そして兄の持っていた別のクラヴィーア曲集(最も有名な巨匠=フローベルガー、ケルル、バッヘルベル 等)を見せて欲しいと懇願しても叶いませんでした。

そんなある日、バッハは兄がしまってあるそれらが格子戸だけで仕切られていた戸棚の中に有ることを知っていた事、そしてまだ手が小さく伸ばすたらとれるような場所だった事で、みんなが寝静まるとこっそりをそれを持ち出しました。当時は蝋燭の火はとても貴重なものでしたから明かりとりは許されず、月光をたよりに何と6ヶ月間写譜を続けたのです。でも結局最終的には兄に見つかり取り上げられてしまったようです。

皆さんの子供の記憶の中にもそれに似たような思いではないでしょうか。本当に欲しいもの、手に入れたいもののための努力、知恵は時として、自分自身気がつかなかった力となるものではないでしょうか。今日のように物、情報の溢れる社会では発想も貧しく想像力を働かせる力も育たないと改めて考えさせられませんか。

~~~  ~~~  ~~~  ~~~


さて、もう一つのお話です。バッハも18歳になるとその才能が認められザクセン=ワイマール公爵の宮廷オルガニストとして、アルンシュタットの新教会のオルガニストのポストに就くことになりました。そうして20歳になったある日、ガイヤースバッハ(23歳で5年留年、未だ生徒の身分)から喧嘩をしかけられます。それはバッハが或る時、「へっぽこファゴット吹き」と彼をなじったことが原因でガイヤースはそれを根に持ち待ち伏せ、バッハが腰に下げていた剣を抜いたか抜かなかったか、そんな喧嘩騒ぎになったのです。長老会では「喧嘩両成敗」と事なきを得ますが、その裏にはややひと波乱もあったとか。それは教区長がバッハに喧嘩については監督不行き届きを指摘、そして「ところでおまえはコラール伴奏はするけれど、多声音楽の伴奏は何故しないのか」と。それに対してバッハは「もし音楽監督がいてくれたらやらないでもない」との返答。それ以来教区長はその事に触れなかったとの事。

実は教会の建築上、3階構造ではオルガンは最上階、聖歌隊の入る余地がなく2階で歌うために込入った多声音楽の場合はかなりすぐれた音楽監督(指揮)が必要。その現状はお互いが全く見えず響きだけを頼っての演奏をしていたのです。

天才・秀才は生意気な言動で(当人はそう思っていないでしょう)教師、上司に煙たがられる事はいつの世でもあることですね。そんなクラスメイト、職場仲間が時々居るのではないかしら。。

参考書籍「バッハの風景」 樋口隆一 小学館

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グイド・レーニ(1575-1642)◇受胎告知


さて、今日ご紹介します作品をはじめ、初期のカンタータはどれもとても優れているといわれています。196番は結婚式のためのカンタータとして知られていて、マリアバルバラ(最初の妻)の叔母の結婚式で演奏しました。

歌詞のサイトこちらをご覧下さい

カンタータ:196番主は我らを心にとめたもう





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今日の1曲◇バッハ◇教会カンタータ147番:主よ、人の望みの喜びを

ピアノ:本間くみ子

現在youtubeに演奏を56曲アップしています

録音スタジオ:ソフィアザールサロン

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94話:式典音楽 その2 [クラシック]


ヘンデル◇王宮の花火の音楽

この曲は1748年に作曲されましたが、言うまでもない事ですが、もう一つの作品「水上の音楽」と並んで祝典音楽としてヘンデルの著名な管弦楽作品となっていますね。

さて、ヘンデルはイギリスに帰化した直後1727年に正式に王室礼拝堂付作曲家、また宮廷作曲家に任命されました。毎年ロンドンでは公園や河川敷で花火大会が開催されました。また、何かお祝い事があるたびに、そのために祝典音楽が書かれ演奏されることもよくあることだったのです。

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山下清(1922-1971 日本画家・貼絵)◇諏訪湖の花火大会

花火のルーツはもともとは中国が発祥の地で14世紀ごろイタリアのフィレンツェで広まったとの事。日本に渡ったのは丁度江戸時代だったのですね。

今日の作品に関する出来事として、1740年から1748年まで、ヨーロッパでは<オーストリア継承戦争>という、複数の国を巻き込んだ戦争がありました。イギリスではこの戦争が終わった翌年の1749年に戦争終結を祝う多くの祝賀行事が催され、そのうちの一つに花火大会として4月27日にロンドンのグリーン・パークでこの「王宮の花火の音楽」が初演されました。

オーストリア継承戦争=神聖ローマ皇帝カール6世は子宝に恵まれず、継承者に悩んでおり、そこに生まれた娘マリア・テレジア(アントワネットの母となる)にオーストリアのハプスブルク家を継がせるため、女子の相続を認める詔書を欧州主要国に認めさせ、また帝位に女性も即位できるよう要求していました。しかし、フランス宮廷のルイ15世はハプスグルク家の弱体化の好機と攻撃を仕掛け、それが発展してこの戦争になった経緯があります。

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アンドレアス・メラー (1717-1780 ドイツ) 11歳のマリア・テレジア

この作品の編成は管楽器のみからなる大がかりなもので、特に野外で浪々と響くように苦心されました。オーボエ24本、ファゴット12本、トランペット9本、ティンパニ3台。そして初演の際にはされに増加されて100本の管楽器を鳴らしたそうです。

この「王宮の花火の音楽」は実際には花火が打ち上げられる前に奏される「序曲」から始まり、その合間に奏された複数の小さなダンス調の小品「ブーレ」「平和」「歓喜」「メヌエット1」「メヌエット2」から構成されています。

管楽器構成というと私たちはスクールバンド・・そう、ブラスバンドをすぐイメージします。特にマーチングバンドはパフォーマンスとしてフォーメーション等、華やかですが元々は戦争の士気を高めるための軍楽隊がルーツなのです。音楽も戦争の道具だったと思うと大変悲しいことです。また当時、音楽は皇帝、王様に気に入られるために宮廷用BGM、画家は肖像画を沢山残しました。本当に自分の表現したい作品だけ残していくのが実生活をしていくのに難しい、これは昔も今も同じですね。

2「ブーレ」◇ターフェルムジーク・バロックオーケストラ






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今日の1曲:ヘンデル◇アラホンパイプ ピアノトリオ(ライブ録音より

 ピアノ◆本間くみ子

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93話:叙事詩「解放されたエルサレム」から [クラシック]

             ヘンデル◇イタリア歌劇「リナルド」より~私を泣かせて下さい

ヘンデル、1685~1759 ドイツの作曲家、後にイギリスに帰化しました。バロック時代を代表する重要な作曲家であり、バッハと同年に生まれています。特にヘンデルはオペラ、オラトリオにおいては沢山の作品を残しています。

*オラトリオ=それはイタリアで始まったクラシック音楽の楽曲の種類であり、バロック時代の楽曲形式の一つです。オペラ(歌劇)に似ていますが、演技、大道具、小道具、衣装を用いません。独唱、合唱をオーケストラにより演奏され、歌詞に物語性、宗教性があり、全体的に叙事的です。

さてこのオペラが出来上がる経緯として、ヘンデルは1706年頃からイタリアを旅行していますた。その時にイタリアオペラというものを実際に鑑賞し、そのエッセンスを吸収することが出来た有意義な時期でもあったようです。また、ヘンデルがロンドンに帰って来て最初に初演したオペラでもあったようです。

この作品はトルクァート・タッソによる叙事詩「解放されたエルサレム」をもとに作られました。その内容は、キリスト教徒達の間の不和、後退、そして最終的な勝利を描いています。また、タッソの表現方法の最も特徴的なものとして、愛と義務の間で引き裂かれる登場人物たち、彼らが直面する感情的葛藤の描写、そして武勇や栄誉に反する愛、というもので私たちに大きな叙情的興奮をもたらしてくれます。

もう少し、歌劇の場面に近づいてみましょう。

魔女、アルミダは最強のキリスト教騎士リナルドを殺害しようとする。リナルドはベルトルドの息子であり、エステ家の創始者である。しかし、アルミダはリナルドと恋に落ちてしまい、彼を魔法の島へ連れ去り、彼女の妖術によって誘惑されそうになる。 二人のキリスト教騎士が、この秘密の砦を発見し、砦を守る障壁を乗り越え、リナルドにダイアモンドの鏡を与えて自身の女々しく愛に堕ちた状態を見せ、傷心のアルミダを残して戦場へ連れ戻す。そしてアルミーナの貞節によって救われるという物語です。

さてこの絵画はそんな元々は敵対関係のアルミダとリナルドがアルミダの宮殿でまさに骨抜きにされている場面です。 よく絵を見ますと左上に兵士達がリナルドを心配している様子が伺えますね。

 
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     カラッチ(1557-1602、バロック期イタリア画家)◇リナルドとアルミダ

  もう一枚、同じシーンをご紹介します。絵の趣がかなり変わりますね。

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       ブーシェ(1703-1770 ロココ期フランス画家)◇リナルドとアルミダ

今日のアリアはこの「リナルド」第2幕に登場します。

敵(キリスト教騎士達)の魔術師アルミダに捕らわれ恋人(リナルド)を思って、アルミーナが自分の悲運を嘆くシーンで歌われます。別のタイトル「涙の流れるままに」とも表記されているものがあります。愛する人だけお思い、敵の王の誘いに屈しない、という歌でもあります。

 
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    ティエポロ(1696-1770ルネッサンス最後期イタリア)◇アルミダを捨てる兵士リナルド



                  ~~ 歌詞和訳 ~~

            過酷な運命に涙し、自由に憧れることをお許し下さい。

            私の苦しみに対する憐れみだけによって

            苦悩がこの鎖を打ちこわしてくれますように

  ソプラノ:森 麻季
 http://www.youtube.com/watch?v=dDnChUrpNoE&feature=related



             [るんるん]kumikopiano インフォメーション[るんるん]

  バッハ◇フランス組曲第6番より「サラバンド」 ピアノ:本間くみ子
           

  他、55曲それぞれ演奏の一部をアップしています。

  アルバム、演奏会のお問い合わせは [メール]k-honma@violet.plala.or.jp





92話:スケッチ「愛らしい小品」たち [クラシック]

前回に引き続き今回もシューマンの作品を取り上げてみたいと思います。私は歌曲と同じようにシューマンのピアノ曲も大変敬愛しています。特に好きな作品は「クライスレリアーナ」「幻想曲」そして今日ご紹介する「子供の情景」です。この3つの曲集はそれぞれをここ数年で必ず演奏したいと考えています。皆さんのお好きな曲は何がありますか?

            シューマン◇「子供の情景」より トロイメライ
19世紀になると音楽と言葉のつながりが大変重要になりその結果世界各地で作品と演奏についての批評がとびかうようになりました。その中心人物であったのがこのシューマン。シューマンは「ライプツィッヒ音楽新報」という雑誌の編集長、かつ主要所有権者となりました。そのため後に「音楽新報」と改名され、「シューマンの雑誌」とも言われていました。シューマンは音楽的な先駆者であったバッハとベートーベンを常に模範としていたとの事。

後の1855年、リストがシューマンの活動に対して下記のように語っています。(シューマンはこの頃は亡くなる少し前、すでに精神の破綻が更に悪化して療養所生活を送っていました)

「シューマンは文学を音楽に近づけた。彼は実際にそのことを証明することができ、もっとも重要な音楽家であると同時に著述家でありえた。・・・・・シューマンは二つの国の住人だった。そして隔絶した地域の住人たちにある突破口を開きこれによって少なくとも個々の仲介者が互いに関心を交わすことができるようにした。・・・・・そうした種類の先駆者である。」リスト著作集より(1882年)

シューマンの交友関係はリストをはじめ、特に大きな存在であったのがショパンとメンデルスゾーンだったのです。同世代のピアニスト、音楽家同士どんな話をしてお互いを高めあっていたのでしょう。想像するだけでロマン派の香りに包み込まれます。ただこの二人はシューマンより先に亡くなってしまっています。さぞ親友の死は大きな影響をもたらしたことでしょう。

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             ルードヴィッヒ・クナウス(1820-1910)◇野原の少女

さて本題の「子供の情景」ですが1837年に作曲されました。全13曲の愛らしい曲集です。経緯としては1832年頃から後に妻となるクララとの結婚がクララの父親の反対、抵抗を受け(それはどんどんエスカレートして妨害、嫌がらせに近く最後は裁判までいきました)スムーズに運べず切迫した思いですごす中、それでもシューマンの作曲書法の進展を促すことになったとの事。この1837年代はピアノ曲を沢山書いていますが、それまでの作品は難解と批評された事に対して、この曲集は芸術性と親しみやすさが良いバランスで聞き手に分かりやすいと評判になりました。ただし、子供の学習用の作品とは違い「子供の心を描いた、大人のための作品」です。

中でもトロイメライはこの曲集の中心であり最も有名です。ドイツ語のトラウム=「夢」からの派生語で「夢見心地」という意味です。最初のモチーフのメロディーが少しずつ色を変えて何度も現れます。シューマンはこの曲を演奏するクララに対して「繊細に幸せに僕たちの未来のように」と語ったとの事です。

ピアノ:シュナーベル(開始後5分40秒あたりから「トロイメライ」です)http://www.youtube.com/watch?v=xdOF7U5pqbk&feature=related



              [るんるん]kumikopiano インフォメーション 

  シューマン◇夕べに / 飛翔 演奏: ピアノ 本間くみ子
   http://www.youtube.com/watch?v=OIYK6MBY0Zw
   http://www.youtube.com/watch?v=S-WxDHR7LvY&feature=related

演奏会、アルバムについてのお問合せ[メール] k-honma@violet.plala.or.jp 本間まで

  [プレゼント]1月16日に行いましたニューイヤーコンサートは終了致しました。いらして下さった皆様、本当にありがとうございました




91話:ハイネの格言、あなたは何を思う [クラシック]

新年お喜び申し上げます。今年も音楽エッセイ、どうぞ宜しくお願い致します。私からのお年始の一枚はこちら。

  
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                       カウルバッハ◇少女とうさぎ

Herman Kaulbach ヘルマン・カウルバッハ(1846-1909)は19世紀の後半に子供の生活をテーマにした油絵画家です。父はバイエルン宮廷画家ヴィルヘルムはゲーテやシェークスピアの挿入画家としても有名で、またリストが交響詩「フン族の戦い」を作曲するきっかけになった絵の作者としても知られているのだそうです。

                   シューマン◇詩人の恋 より「美しき五月に」

ロベルト・シューマン(Robert Schumann 1810-1856)はドイツの作曲家でありロマン派音楽を代表する一人でもあります。また、ショパンも同年に誕生していて後にショパンのワルツ5番を絶賛するなど親交もありました。

さて、本日の作品「詩人の恋」。1840年に作曲されたハイネの詩「歌の本」の中の「叙情的間奏曲」による全20篇のうちの16曲であり、シューマンの連作歌曲の一つです。シューベルトと継ぐ代表的ドイツ歌曲作家となったシューマンの最も有名なものですが、典型的なピアノ作曲家らしくピアノ伴奏にも表現力が豊かであるように思われます。

1840年、この時期はクララと結婚した年でもあり、本人が「歌の年」と呼んでいるように愛の喜びを託した歌曲をたくさんかいたのです。他に「女の愛と生涯」「ミルテの花」「リーダークライス」が最高傑作のひとつといわれています。

「詩人の恋」は第1曲から第6曲までは「愛の喜び」を、第7曲から第14曲は「失恋の痛み」を、そして最後の2曲は「青春の回想」を歌っています。今日お届けする第1曲「美しき五月に」は愛の始まりを告げる美しい曲です。ピアノの分散和音は心のときめきを表しているのでしょうか。ドイツの冬は長く、五月にならないと春は来ません。その間人々は春の到来を心待ちにしているのでしょうね。ほら、メンデルスゾーンの「春の歌」も思い出しましせんか・・

                    <美しき五月に>

素晴らしく美しい五月に あらゆるつぼみが開き 僕の心の中にも 愛が花咲いた

素晴らしく美しい五月に あらゆる鳥が歌いだし 僕は彼女に打ち明けた 僕の憧れ 僕の望みを 

 
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                        ジョーンズ◇春の訪れ  

◇ハイネ◇(1797-1856)代表的ロマン主義文学者でありながらもドイツロマン派への批判精神を失わないのが特徴で、詩の中に盛り込まれた皮肉をシューマンがどれほど音楽的に表現することができたかについてドビュッシーにより議論の的にされている、との事。またハイネはシューマンと同じ年に亡くなっています。

  

                           ~~ハイネの格言より~~

 *恋に狂うとは言葉が重複している。恋とはすでに狂気なのだ。

 *幸福とは浮気な娼婦である。いつも同じところにじっとはしていない。



 フィッシャーディスカウ:Fischer-Dieskau http://www.youtube.com/watch?v=AwZFrb-mt8I&feature=BF&list=PL53D750FAD90FEF31&index=1





            ~~~~ kumikopiano インフォメーション  ~~~~

ニューイヤーコンサートご案内です。ソプラノの歌をメインに二人のピアニストが伴奏、またそれぞれソロを演奏いたします。

今日のエッセイでお届けしました曲を含めミュージカルハイライトやドイツリート・オペレッタなどお楽しみ下さい。

                   ~ ~ プ ロ グ ラ ム ~ ~

美しき5月に・春の夜(シューマン)~ すみれ・イドメネオより「穏やかな風よ」(モーツアルト)~素敵じゃないの?・踊り明かそう(マイフェアレディ)~星に願いを(ピノキオ)~虹の彼方に(オズの魔法使い)~サウンドオブミュージック・私の羊飼い(サウンドオブミュージック)~チムチムチェリー(メリーポピンズ)~あなたは私の心の皇帝(オペレッタ「お気に入りに家来」)~熱きくちびる(オペレッタ「ジュディッタ」)

ピアノソロ: ため息(リスト) 春の歌(メンデルスゾーン) 即興曲2番(シューベルト)

 
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     演奏会、アルバムお問い合わせ[るんるん] k-honma@violet.plala.or.jp


90話:ペンネーム「Re]で送ったファンレターがきっかけで [クラシック]

今年になって始めたこの音楽エッセイもいつのまにか90話を迎える事になりました。読者のみなさん、本当にありがとうございました。また来年も同じようなスタイルで続けて参りますのでどうぞ宜しくお願いします。

今年最後のエッセイは、youtubeにアップしました自分自身の演奏、51曲の中から再生回数が特に多かったものの一つをご紹介します。

              ラフマニノフ◇ヴォカリーズ

ラフマニノフ(1873-1943 ロシア)はロマン派、チャイコフスキー、リムスキー=コルサコフの影響を受けた作曲家であり、ピアニスト、指揮者の才能も発揮しました。

1912年に作られたこのヴォカリーズは名曲中の名曲、日本人にも人気の高い作品です。調べてみますと様々な背景とこの作品が生まれる経緯に興味が深まりました。

1895年、ラフマニノフはにシンフォニー1番を完成させましたが、2年後にグラズノフ指揮の初演では記録的な大失敗に終わったのです。その後数年間、失意の底にいたのですが、やがて1900年ごろから創作意欲を回復させます。2台ピアノ組曲第2番、ピアノコンチェルト第2番という2つの大作を完成させ、演奏会も大成功を収めます。またグリンカ賞を受賞して作曲家の名声を確立したのです。その後結婚しています。

1909年にスイスの画家ベックリンの作品「死の鳥」から着想を得た交響詩「死の鳥」を作曲、ピアノコンチェルト3番を作曲、自らピアニストとしてマーラー指揮のもと初演しました。

そして本題でもありますが、この頃女流文学者マリエッタ・シャギニャンとの文通をで意見を交わすようになります。きっかけは「Re」というペンネームで彼女がラフマニノフにファンレターを送った事だとか。そしてヴォカリーズの入った歌曲集は1912年に彼女が推薦したそれぞれの詩に作曲したもので「14のロマンス 作品34」または「14の歌曲 作品34」として生まれました。どの曲も当時活躍していたロシアの名歌手に献呈されました。終曲となるこの「ヴォカリーズ」は、ソプラノ歌手アントニーナ・ネジダーノヴァのために書かれた作品なのです。

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         クラムスコイ 1837-1887 ロシア◇髪をほどいた少女

[ペン] クラムスコイというと「忘れえぬ女」がとても有名ですがこの作品も目にする方が多いのではないでしょうか。ロシア音楽に通じる切なさ、哀愁、そのような内面的なものがこの少女の表情にも描かれていますね。

ヴァオカリーズとは・・・・・フランス語で歌詞を伴わずに母音のみによって歌う歌唱法を指します。起源は18世紀半ばにさかのぼり、ベラールの曲集「歌の技芸」において、声楽技巧のための練習曲として当時の作曲家「リュリ」や「ラモー」の歌曲に掲載されたのが起こりでした。そのような練習曲は19世紀に飛躍を遂げて、ピアノ伴奏が付けられたりなど、その他「カプリチョ」のような機械的な練習曲にさえ演奏者の音楽をより芸術的に解釈出来るように目論まれたとの事です。

[ペン]皆さんのご存知の作品ではピアノ曲になってしまいますが・・・ショパン、ラフマニノフ、リストなどの「エチュード」がありますね。エチュード=「練習曲」なのですがどれも音楽的な要素が多分に織り込まれ至難の業、演奏者泣かせです。しかしすべての音楽というものはやはり「歌」が原点ですからどんな難曲でもそこに「歌」が聞こえてこなくては面白くも何ともない、テクニックを披露するだけの無味簡素なものとなってしまうのです。そんなわけで、あ~私の修行はまだまだ続きます。

[るんるん]ヴォカリーズ:ソプラノ編http://www.youtube.com/watch?v=gERptKVcxTM&feature=related

[るんるん]ヴォカリーズ:フルート&ピアノ編 http://www.youtube.com/watch?v=Y0vKbRVPKAk

[るんるん]ヴォカリーズ:チェロ&ピアノ編  http://www.youtube.com/watch?v=oQ4iVZucKFA


~~~~~~~~~~~~ アルバムご紹介 ~~~~~~~~~~~~

        録音スタジオ:ソフィアザールサロン 

    お問合わせ:[mail to]k-honma@violet.plala.or.jp 本間 まで

     [CD]リサイタル・ライブアルバム~Moonlight

     2010年10月2日リサイタルのライブ録音 ¥1500

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エルガー:愛の挨拶◇メンデルスゾーン:春の歌
ブラームス:間奏曲作品118-2 / カプリチオ
シューベルト:即興曲作品90-3◇バッハ:フランス組曲第6番
シューマン:夕べに / 飛翔◇ベートーベン:ソナタ「Moonlight(月光)」
アンコール~バッハ:主よ、人の望みのびを
ボーナストラック~ショパン:ノクターン第5番

  [るんるん]「月光」より3楽章http://www.youtube.com/watch?v=bdWCgsYfUH4




89話:ジュリーアンドリュースと言えば [クラシック]

クリスマスシーズン到来、街はライティングが綺麗ですね。私からの贈り物はこちらの絵画
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                ホントホルスト◇羊飼いの礼拝 1622年

バロック画家、Honthorest ホントホルスト(1592-1656 オランダ)は光と影の描写を駆使し、劇的な空間を生み出しました。この絵においては救世主自身が光の源となり、周囲を柔らかく照らし出しています。ヨセフとマリアの慈愛に満ちた表情と羊飼いたちの喜びが、見ているこちらの気持ちを優しくさせるとは思いませんか。

ピアソラ◇アヴェマリア(編曲・演奏 本間くみ子)http://www.youtube.com/watch?v=gNZtUK_0ULQ

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          サウンドオブミュージックより「サウンドオブミュージック」

今日は少し趣を変えましてミュージカルからです。ご紹介するこのミュージカルを知らない、という方はいらっしゃらないのではないかしら・・というくらい、有名な作品ですね。中でも劇中歌、「ドレミの歌」「エーデルワイス」は学校で必ず歌われたはず。

アメリカ映画「トラップ・ファミリー合唱団物語」の前編に基づくものだそうです。第二次世界大戦を背景とする混乱の中、勇敢に生きる女性を描いたこの作品は実話に基づき私も心を打たれたひとりです。

1954年、中込純次訳ドイツ映画「菩提樹」が出版されましたが、アメリカ映画としてこの「サウンドミュージック」がヒットすると1967年に中込氏により同じタイトルで改題されました。

もう少し詳しく知りたい方はこちらのストーリーをご覧下さい。http://www.shiki.gr.jp/applause/sound/about/story.html

   ポール・ロワイヤルの修道女 1662 シャンパーニュ.jpg
             シャンバーニュ◇1662年の奉納画 

今日の一枚~フィリップ・ド・シャンバーニュ Philippe de Champaigne 1602-1674 フランス古典主義時代に活躍した画家。正式な名称は「女子修道院長アトリーヌ・アニュス・アルノーと画家(シャンパーニュ)の娘の修道女カトリーヌ・ド・サンド・スザンヌ」。スザンヌが難病に陥り絶望視される中、アルノーが9日間祈祷した完治したという奇跡に父シャンパーニュが感謝し院へ献上した作品です。

勇気・信じる心は奇跡を生む、いつの世でもある事、私たちも失いたくない信念ですね。

動画でご紹介する曲「サウンドオブミュージック」はマリアが自然のすばらしさを歌に託して歌います。映画では、アルプスの山々の遠景から、丘の上でこの曲を歌うマリアへズームしていく有名なオープニング・シーンとなっています。ジュリーアンドリュースと言えばメリーポピンズでも有名です。

   サウンドオブミュージック1.jpg 
歌:Julie Andrews ジュリーアンドリュース http://www.youtube.com/watch?v=Za0gA-4LszU



~~~ kumikopiano インフォメーション ~~~
      
[ぴかぴか(新しい)]演奏会のご案内です[ぴかぴか(新しい)] 
 <ソフィアザールサロン・ニューイアーガラコンサート>
   
    2011.1.16(日)ソフィアザールサロン(駒込)
    開演14時30分(50席、要予約)
    入場料¥2500

   <プログラム>
 美しき5月に・春の夜(シューマン)~ すみれ・イドメネオより「穏やかな風よ」(モーツアルト)~素敵じゃないの?・踊り明かそう(マイフェアレディ)~星に願いを(ピノキオ)~虹の彼方に(オズの魔法使い)~サウンドオブミュージック・私の羊飼い(サウンドオブミュージック)~チムチムチェリー(メリーポピンズ)~あなたは私の心の皇帝(オペレッタ「お気に入りに家来」)~熱きくちびる(オペレッタ「ジュディッタ」)
ピアノソロ : ため息(リスト) 春の歌(メンデルスゾーン) 即興曲2番(シューベルト)


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   [メール]演奏会、アルバムお問い合わせk-honma@violet.plala.or.jp


88話:メンコン [クラシック]

           メンデルスゾーン◇ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64

今日は前回に引き続き、4大ヴァイオリン協奏曲のひとつをご紹介します。

この曲は1844年に作曲されたヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲です。穏やかな情緒とバランスのとれた形式、そして何より美しい旋律で、音楽家として仕事の面でも充実、多忙の中作り上げたこの曲は、メンデルスゾーンのみならずドイツ・ロマン派音楽を代表する作品です。
   
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  室内オーケストラを指揮する少年メンデルスゾーン

メンデルスゾーンの才能や偉業については(タイトル:永遠の3重奏団)こちらに書いてありますのでどうぞご覧下さい。http://plaza.rakuten.co.jp/kumikopiano/diary/201005030000/

さて、この曲を作る前のメンデルスゾーンは1841年(32歳)の頃、ブロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世に招かれ、ベルリンの宮廷礼拝堂楽長に就任しています。
     
   ベルリン 宮廷礼拝堂.jpg

また、1843年、34歳の時は自ら奔走して設立資金を集め、ライプツッヒ音楽院を開校し、院長となります。作曲とピアノの教授にはロベルト・シューマンが招聘されていました。このライプツッヒ音楽院とはドイツで最初の重要な音楽大学であり、初代院長にはメンデルスゾーンが就任し、1901年に日本は滝廉太郎が留学しています。1992年には演劇学部を開設して拡張し、現在はおよそ900人の学生が在籍しているのです。

音楽家の多くは個性が強すぎで中々他の人とうまく付き合う事が苦手というイメージがありますがメンデルスゾーンのように才能、家庭環境、富に恵まれ人間的にも信頼されるような芸術家も時々出現しますね。またメンデルスゾーンの功績からも西洋音楽の歴史とは計り知れない深さを改めて知る思いでもあります。
指揮:フルトヴェングラー 演奏:ベルリンフィル ヴァイオリン:メニューインhttp://www.youtube.com/watch?v=tum96sG2UkU&feature=related 



 
        ~~~~~ kumikopiano インフォメーションコーナー ~~~~~~


[ハート]メンコンではありませんが、丁度メンデルスゾーンの作品でメントリ=メンデルスゾーン:ピアノトリオが含まれていますコンサートのご案内です。このメンバーは今年前半に同サロンにおいて チャイコフスキー:偉大なる芸術家の思い出 を演奏し多くの観客を魅了しました。メントリの他、ショスタコービッチとモーツアルトのピアノトリオという贅沢なプログラミングになっています。

会場:ソフィアザールサロン(駒込)12月11日(土)2時半開演 http://www.sam.hi-ho.ne.jp/happyendoh/top.files/info.files/info1012.htm


[スペード]<ソフィアザールサロン・ニューイアーガラコンサート>
   
    2011.1.16(日)ソフィアザールサロン(駒込)
    開演14時30分(50席、要予約)
    入場料¥2500  詳細はプロフィールをご覧下さい
    演奏会、アルバム、ライブ録音についてのお問い合わせはこちらまで
    [mail to] k-honma@violet.plala.or.jp


[ダイヤ]kumikopianon youtube~42曲アップしています http://www.youtube.com/user/kumikopianon?feature=mhum 

   今回はライブ録音よりご紹介です
   ピアノ ラフマニノフ◇プレリュード より      
    

                 
演奏会、[CD]アルバム、ライブ録音についてはの問い合メッセージまたはこちらまで [mail to]k-honma@violet.plala.or.jp まで (プロフィールにそれぞれのアルバム曲目や音源をご紹介しています)

87話:4大バイオリン協奏曲と言えば [クラシック]

前回のエッセイでグリンカをご紹介しました。そんな真のロシア的音楽を作り上げた人、それを受け継いだ5人組も重要ではありますが、今日はチャイコフスキーの代表的な作品からのご紹介です。

          チャイコフスキー◇バイオリン協奏曲二長調作品35

Tchikovskyチャイコフスキーは1840年~1893年、ロシアの作曲家

チャイコフスキーと言えばバレエ音楽を真っ先に思い浮かべる方も多いでしょう。このヴァイオリン協奏曲二長調 作品35は、1878年に作曲されました。ベートーベン、メンデルスゾーン、ブラームスのいわゆる3大ヴァイオリン協奏曲に本作を加えて4大ヴァイオリン協奏曲と称されています。また、ベートーベンやブラームスと同様にチャイコフスキーも本作1作しかヴァイオリン協奏曲を作曲しておらず、そのいずれもがニ長調で書かれていることも共通しています。

さて、この曲の背景としては1877年にアントニナ・イワノヴナと結婚しました。しかしこの結婚は大きな失敗であり、チャイコフスキーはモスクワ川で自殺を図るほど精神的に追い詰められました。それでもそんな中で有名なバレエ「白鳥の湖」完成、オペラ「エフゲニー・オネーギン」を完成しています。

そのころのチャイコフスキーを精神的に支えたのはナジェージダ・フォン・メック夫人(1831-1894)でした。メック夫人は、鉄道で富を築いた夫に先立たれ、夫の死後、優雅な暮らしを送っていて、弟子のニコライ・ルビンシテイン(1835-1881)を通して、1877年にチャイコフスキーと知り合い、文通だけの類まれな関係は13年間も続いたそうです。

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                 フォン・メック夫人

ルービンシュタインと言えば・・・「偉大なる芸術家の思い出」ですね。なるほど、そういう経緯があったのですか・・

翌1878年4月にはヴァイオリニストで友人のコテックが訪ねてきて一緒に滞在しています。本作はこの間の1ヶ月ほどの間に集中的に書き上げられました。

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          ロシア画家:コンスタンチン・ユーオン◇3月の太陽 1915年


この曲を聞くと映画「オーケストラ」を思い浮かべる方も少なくないことでしょう。素晴らしい内容の映画ですね。今日はその映画の予告編も添付しました。チャイコフスキー自身の人生を大きく変えるような背景と苦しみの中で生まれた傑作、映画の主人公も波乱万丈な人生の中での名演、改めてじっくりと鑑賞したいと思います。

ヴァイオリン:諏訪内晶子http://www.youtube.com/watch?v=rnzRuJ12V5s&feature=related

映画「オーケストラ」予告編 http://www.youtube.com/watch?v=jyxtWUsvBBM



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<ソフィアザールサロン・ニューイアーガラコンサート>
   
    2011.1.16(日)ソフィアザールサロン(駒込)
    開演14時30分(50席、要予約)
    入場料¥2500

     o0445062410841198771.jpg

演奏会、アルバム、ライブ録音についてはの問い合メッセージまた下記まで
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(プロフィールに詳細のっています)


 宜しくお願い致します~

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今回はライブ録音よりご紹介です
 チェロ&ピアノ ラフマニノフ◇ヴォカリーズ より    
    





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